2泊3日の山口旅行3(08/04/28) [旅行・ドライブ]
山口旅行最終日はレンタサイクルで萩市内を散策します。
ホテルのママチャリを無料で借りれたので、朝から走り回りました。
中学ん時の修学旅行の時もレンタサイクルで走りましたが、
萩市内ってこんなに夏みかんの産地だったかな?
こんなに白い壁の古い町の雰囲気がたくさんあったかな?
16年も経てば記憶は薄れていきますよね。
まずはホテルに近い萩城跡に行きました。
現在はほりと石垣が残っているだけで、天守閣などの建物はありません。
萩城址
幹線道路から一本路地に入ると時代劇に出てきそうな白壁石垣の通りがあちこちにあります。
ゆっくりと走りたい
壁ばかりでなく、江戸時代の長屋や長屋門、屋敷門があちこちに残っています。
長屋
下の塀は堀内鍵曲(かいまがり)と呼ばれる場所で、敵の侵入や攻撃に備えるため、塀を高くして見通しを悪くし、防御度を高めるために作った道路。
この周辺はアスファルトではなく砂利道でした。保存地区に指定されているからでしょうか。
高い塀の奥には夏みかんがたくさんなっており、ところどころ家の門の前に無人販売してました。
値段を見ると5個で100円 安っ
あとで観光センターで値段見たら・・・高っ
鍵曲
萩市(観光の中心部)はそれほど広くないので、ママチャリの移動でも苦になりませんでした。
ただ、この日は暑かったです。途中、半袖になってました。
堀内地区から城下町へ移動します。
城下町地区は菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁と呼ばれる通りに多くの歴史的建造物や幕末~明治維新に活躍した偉人にまつわる場所が集中しています。
ほぼ同じ時代に近所の友達が明治維新に関係しているんですから、どうなってたんでしょうか。
菊屋家住宅というひときわ目立つ建物があります。白壁もきれいでかなり敷地も広く壁で覆われているので、すごい大富豪だったと思われます。中は入らず外から白い壁を眺めていました。
菊屋家住宅(菊屋横丁)
この菊屋横丁には高杉晋作生誕地があります。
中はちょっとした資料が展示してあります。
ここにも吉田松陰の弟子がいたわけですね。
晋作の家
江戸屋横丁に移動します。
ここには円政寺というお寺があります。
このお寺で高杉晋作や伊藤博文が幼いころ遊んでいたそうです。
円政寺
境内の中にはでかい天狗の面が飾られた建物があるんですがこの建物は神社なんです。
お寺の中に神社があるという珍しいつくりになっています。
このお寺・神社のつくりや由来、明治維新の偉人たちとの関わりについて、住職が丁寧に説明してくれました。
でっかいお面
江戸屋横丁には桂小五郎(木戸孝允)の旧宅もあります。
無料で公開されていて、中にも入ることができます。
小五郎の家
朝からあちこち走り回ったので昼食をとることに。
魚料理が食べれる店に行きました。
苦手なサザエが出てきまして・・・
しっかり昼を食べる
昼食を終えてから、松陰神社に行きました。
松陰神社といえば吉田松陰です。
安政の大獄で命を落としますが、それまでの数年間に幕末~明治維新、その後の日本の政治の舞台で活躍する人々に多大な影響を与えた人物です。
松陰神社
神社に入るとでっかい石碑があります。
「明治維新胎動之地」
この近くに確かロウ人形館があったと思います。
中学の修学旅行で入った記憶がありますが、かなり不気味だったので今回は行きませんでした。
もしかすると、内容が変わってたりするのかな?
明治維新胎動之地
多くの偉人を輩出した松下村塾。
とても質素なつくりです。
松下村塾
松陰神社から少し行ったところに伊藤博文の家があります。
ここは博文が生まれた場所ではなく、家族と一緒に引っ越してきて住んでた場所です。
貧しい農家に生まれ、萩に引っ越してきてからは先ほどの円政寺に預かってもらい、学んだり遊んでたそうです。
伊藤家に博文の両親が仕えていたことから、一家で養子に入り、伊藤の姓になったとのこと。
そして明治維新で活躍し、初代の内閣総理大臣になったことはご存知のとおり。
兵庫県知事もやってたことには驚きました。
博文の家
家の横には像が建ってます。
これは銅ではなく、萩焼でできているそうです。
萩焼らしい
15:30くらいにホテルに戻りました。
のんびりながらもいろんなところを観ることができました。
もっと歴史を勉強してからきたほうが、より楽しめたなあ
そして16:30くらいに萩を出発。
戻るのに6時間くらいかかりました。
やっぱ遠いですね。
今回たくさん食べて横に育ったため、翌日の200kmサイクリングはちょうどよかったかも。
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